MOIMOIchance@woman

その日気になったものたちが一人で歩き出した。そんなブログ

short-10


ねえポチ

もし

僕と

僕よりお金持ちのダレカがいたら

ポチはどっちに行く?


ぼくが犬にそれを訪ねる理由は
彼が言葉を発しないからだ
ぼくは彼の本音など聞きたくない
聞いているけどそれは聞いていないのだ
ぼくがその問いに対して求めてる答えはなんなんだろう?

午前四時前

夜勤が終わって
ゴタゴタしてるものを片付けて
布団に入った

ポチだけが優しい

僕を慰めてくれる



本気でおちてるときの慰めや励ましに
言葉などいらないのかもしれない

ていうか
要らない、と確信した


だって現に
ぼくはこうして答えない相手に対し問いかけをし続けている

一人暮らしが猫を飼うようなものだ

所詮人間があつかえる言葉では
心の癒しなんてできやしないんだろうな

人間に言葉が生まれ話始めた時点で
人間の社会化ははじまったのだとおもう

言葉はビジネスにだけ使っていればいいと思うの

人と人との関わりでは
むしろ
音なんて要らない

無音のなかで
ただただお互いの感覚を感じあいたい

人と付き合う上で
ぼくは言葉は必要ないと
本気でおもってる。

ぼくの肩耳の聴力がないのは
それを教えてくれたのかもしれない

手話で話をするひとの
顔の表情をみたことがある?

とっても
とっても
素敵な顔するの

わたしたち社会的人間は
表情や動作という
非言語コミュニケーションのすべを捨てきった
だから
人と人との間で大きなすれ違いばかり起きるようになっている

人は本来
言葉という音はいらない

言葉をなくした上で通じ会えるか否かが
安心
なんじゃないかな

ぼくや、時々他の人間は
しばしば動物を愛する

それは
言葉をなくした上で通じ会えた
と感じるからなんじゃないか?

安心なんだよ

社会的人間からは絶対に得られない安心




言葉から
安心など得られないってこと。




"しゃべらなくてもいい相手が好き"
という人がいて
ぼくもずっとそうだった

今思うとそれは遺伝子レベルで
生き物としてとても正しい安心感を求めていたんだと。

すこしだけ
この自分自身を誇らしく思った

         『ぼくのあんしん@よる』



お金も正直だ
あったらみんな優しくしてくれる
なければ優しさはもらえない

そうなってるんだ
てか、なってるじゃん?

この資本社会はさ

そう、いまのこの世は
お金が[与える優しさ]の尺度だ

これもまた
人間という生き物の感覚を鈍らせてる

無音を雑音で埋めまくり得た新天地など
そのうち
いや、もう崩れる



ポチが寝息をたててる



おやすみ