MOIMOIchance@woman

その日気になったものたちが一人で歩き出した。そんなブログ

単語の前にある音 無意味なこと


同じ名前を何度も読んでいると

あれ
この人こんな名前だっけ?

と思いはじめる段階がある


それは

その名前一つ一つの音に対して
反応するようになるからだと思う

例えば、
ゆうかちゃんを呼び掛けるとして

ゆうか!
と言えばそれはゆうかという一つの単語として処理される

だが
ゆうかゆうかゆうかゆうかーー!!!
と言えば
一つの単語で区切るすべがなくなるのだ
どこできればいいかどこからどこまでが繋がりなのかわからなくなる

ゆ う か 
この一つ一つの音が発する表情がかいま見えたとき

私はゆうかをゆ う か で処理できなくなるのだ

ゆうか自体は単語として存在しているが
単語として存在できたのは彼らの音があったから。


ゆうかゆうかゆうかゆうかーー!!!
ゆうかー!!


そんなに呼ばなくても聞こえてる

そうと分かっていても
何度も読んだり
大きな声を出したり

そういう無駄を人間は常日頃からする

そこには
言葉には還元できない想いを表に出したい意図を感じる

抑揚やボディーランゲージ
表情

人は言語に頼りすぎた

もともと人間は
言葉なんてなくても会話できたのだ

音に意味をつけ言葉を産み出した背景は
自分の想いを内なるものを外に出したい
ことだったようにおもう
それも、相手にわかりやすく伝えたい
というおもいから。

伝える 必要性 がでてきたのかもしれない。
今でいう、お金がほしい援助がほしい協力してほしいに発端をきる物事の多くはそれだ
非常にめんどいが必要は身に付けると自身のストレスを大幅に減らせる。こともわかった。


私は音の作り出す情報が好きだ
でも、そこどまりではない
私がしたいのは
私が感じたイマを伝えたい対象に伝える(表出させる)ために
言葉をツールとして使ってるだけだから

独特といわれるのは
こだわりがあるから
こういう形式、とかではもちろんなくて
わたしのいまのこの感情を言葉におとすとしたらどの音が一番的確だろうと考えるから

あくまでツール
わたしの芯はそこにはない

感じてほしいきっかけとしての表だ。


人は自分の名前をよばれると嬉しいらしい
例がいなく自分もそう

これは
感じてほしいきっかけとしての表
という答の素晴らしい例になると思う。

結局は
入り口をみせなきゃ存在は決してたたない、の

みつけた興味ある、そこから入ってそのなかで
秘密の扉を探し当てるのならわたしの奥底にふれて

そういうのが、きれい

透明で透き通って
凛として
中性で
ただただありのままをうつくしく
色を愛でるように感じきりたい



…そんなことを思いながら
何度も繰り返し名前を呼ぶ
という無意味な無駄をしたくなる他人が存在しているという事実に
すこしだけ

いや、とても
嬉しくなった



Todays moist
合理的に考えた結果
非合理的に生きることが一番合理的だ

あなたという価値をあげる
そんな人生を